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変わる世界の   スニーカー市場
ナイキのアクションスポーツ戦略B

アクションスポーツ市場の風向き変える

Nike US Open Surfing 2011(以下USオープンサーフィン)は11年8月7日、50万人を超える大観衆を集めて盛況のうちに終わった。オープン終了と同時に、アメリカのアクションスポーツ市場環境は一転してポジティブムードに包まれた。マスメディアは好意的な論調を発信し、アクションスポーツはお茶の間まで浸透した。10年までネガティブな材料ばかりだったのに比べて大きな前進だった。
1年前までの米国アクションスポーツ業界は崩壊の瀬戸際に立たされていた。81年にスタートしたASRショーは中止(11年)になり、業界最有力2社のクイックシルバーとビラボーンは08〜09年には業績不振に追い込まれた。ナイキ傘下のハーリーも、3年前からナイキからエグゼクティブが送り込まれてリストラを断行。比較的業績が安定していたヴォルコムも、11年7月に高級ブランドグループPPR(本社:パリ)に買収された。スケートボードシューズ有力ブランドのソールテクノロジー(本社:カリフォルニア州レイクフォレスト)は、主力スケートボードシューズ「es」を12年春で撤退すると発表した。
数えればきりがないほど、過去数年間の米国アクション業界はネガティブ材料一辺倒だった。しかし、11年のUSオープンサーフィンを契機に市場は一転、押せ押せムードに包まれた。ナイキグループの総力を挙げたアクションスポーツ・メガプロモーションが成功したからである。


USオープンサーフィンで席巻

USオープンサーフィンは、94年のスタートからハーリーがスポンサードしてきた世界最大のサーフィンイベント。いわばサーフィンのワールドカップと言って良い。ナイキがグループの総力を挙げてスポンサードし始めたのは10年からで、同年にはオープン冠スポンサー契約(マルチイヤー)に踏み切った。
ナイキが6月から「The Chosen」キャンペーン(http://www.youtube.com/watch?v=gwM5kWq1Me0&feature=related)をリリースしたのも、USオープンサーフィンに併せて、一気にアクションスポーツで主導権を握るためだった。同キャンペーンで流した大量のトレーラー(予告ビデオ)とショートムービーはYouTube、Facebook、その他ありとあらゆるヴァーチャルメディアを埋め尽くし、7月30日〜8月7日のUSオープンサーフィン放映(ESPN)と相互補完して全米の観衆をとりこにしたのである。
そのプロモーション投資は半端じゃなかったが、その甲斐あって、ナイキはアクションスポーツ分野で強力なプレゼンスを獲得することができた。投資と言っても、ナイキにとってオリンピックやNBAでのプロモーションに比べれば、アクションスポーツプロモーション費用くらいはたかが知れている。このキャンペーンの費用対効果は抜群だった。

SBスニーカー開発戦略

ナイキのアクションスポーツ本格参入は、幸先の良いスタートを切った。ハーリー(02年買収)業績も復調の兆しが見え始め、コンバースも09年になってアクションスポーツに本格参入した。「One Star」「Star Player」はそのための最有力モデルで、コラボレーションを次々に打ち出している。ナイキも「2015 Global Growth Strategy」(10年5月発表)でアクションスポーツ強化を明言し、「6・0」「SB」キャンペーンを強力に推進し始めた。
プロダクト開発も既存モデルの転用を推進し始めた。ナイキはこれまで新規分野参入に当たっては、ゼロから開発して必ず専用モデルを投入してきた。しかしアクションスポーツプロジェクトでは、SB(Skateboard Shoes)開発は既存モデルの転用が主流になってきている。これまでにダンク(バスケットシューズ)、ブレイザー、ブルーインなどが次々にSB化。既存モデルの転用は日ごとに増加する傾向にある。この方法だと、短期間にいくらでもSBモデルが生み出せるから、開発効率は一気に高まる。
マーク・パーカー社長は、短期間で新市場育成を図るにはこういう手法もあったことを実感したはずである。過去のモデルは使用済みではなく財産。大先輩のロバート・ストラッサーが20年前にアディダスでやってみせたことを、パーカーも始めた。

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