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 フィレンツェの靴工房を支える日本人靴職人

 多くの観光客が訪れるフィレンツェ、アルノ川の向こう岸はさまざまな職人が働くエリアが存在し、靴工房も多い。日本で名が知れた靴職人工房には日本人も働いており、工房にとって重要な存在となっている。今回、彼らの働いている工房を訪ねた。

半世紀以上続く靴工房「マンニーナ」

 観光地として有名なポンテヴェッキオ(ヴェッキオ橋)を渡った先の右手にエレガントな靴を販売する「マンニーナ」がある。ここは、靴職人Calogero・Mannina氏が経営するショップで、彼の息子さんがお店をまかされている。店の奥を進むと別の通りにつながり、その通り沿いに靴工房「マンニーナ」がある。
 シチリア出身のマンニーナ氏は、子供の頃から地元の靴職人に靴作りを学び、靴輸出の仕事を経て1953年にフィレンツェに靴工房を構えた。その当時は金持ちのアメリカ人靴をオーダーするために店に立ち寄ったという。現在はアメリカ、日本、韓国など世界中に顧客を抱えている。工房には他にイタリア人が一人働いている。
 9年前からこの工房で働いている松岡祥子さんは、神戸医療福祉専門学校三田校を卒業後、整形靴をやろうと思い、一時はドイツにも行ったが、縁あってこの工房で働くことになった。
「靴を作る道具は一緒だったので、ファッション靴作りへの抵抗はありませんでした。学校で学んだ健康靴の知識を現在の靴作りに生かしています」と松岡さんはいう。マンニーナ氏は彼女について「靴を作るベースを持っていたので、特別なことは教える必要はありませんでした。彼女の仕事の状況を見て少しずつ仕事をまかせていきました」と語る。
 マンニーナ氏が採寸、木型作成、型紙を起こし、材料の選択、革の裁断を行う。アッパー縫製は外の職人に出し、松岡さんは釣り込み、底付け、仕上げをする。まだ働いて日の浅いイタリア人が雑用をし、松岡さんは工房の重要なポジションにいる。
仕事は9時から19時半まで、時には20時過ぎまで働くこともある。
 今後については「ずっとこの工房で働くかどうかわかりません。もっと勉強したいこと事があるので、きりがついたら次のステップに進むかもしれません」と彼女も靴作りに対してまだまだ意欲的。マンニーナ氏の情熱に大きく影響されているのは事実だ。


日本人の靴職人を送り出してきた「ロベルト・ウゴリーニ」

 マンニーナ氏の工房から歩いて5分、サント・スピリト教会の前に「ロベルト・ウゴリーニ」の靴工房がある。1996年に工房を構えてから、黙々と靴を作るウゴリーニ氏の姿に惹かれて、工房で修業をしたいという人が絶えない。事実、何人かの日本人靴職人を世に送り出してきた。
ここはポストがあれば自由に彼のそばで靴作りが出来る。ただし、報酬はない。滞在許可証の問題もあるので、2年か3年で工房を出て自分の道を探さなければならない。それでもこの工房には必ず日本人の姿がある。
「ここで働いた人が活躍しているニュースを聞くとうれしい」とウゴリーニ氏。以前ここで働いていたという靴職人が紹介されている日本の雑誌をうれしそうに見せてくれた。
現在、イタリア人、イギリス人の職人と一緒に働いているのは渡辺枝理子さん。マンニーナの工房で働く松岡さんとは三田校で同級生だったというが、それを知ったのはフィレンツェに来てからだという。
ここで働いてから2年半になる渡辺さんは、今年の夏に日本に帰国予定だ。帰国後の活動は未定だが「オーダー靴のお店で働きたい」と語る。また新たな靴職人がここから旅立とうとしている。

3.

日本人で支えられる「ステファノ・ベーメル」

ボルゴ・サン・フレディアーノ通り沿いにある「ステファノ・ベーメル」のショップ裏にある工房には、3人の日本人靴職人が働いている。
ベテランの坂東雅子さんが靴作りを目的にフィレンツェに来たのは11年前。日本の雑誌を見て“靴がきれいだった”とベーメル氏の靴に惹かれ、運よくもこの工房に見習いとして入ることが出来た。
「その当時はフランス人が4人いて、日本人は私だけでした」と坂東さん。当初、靴磨き、箱作り、靴紐の販売など靴作りの基礎がない彼女の仕事は雑用のみ。半年後に初めて収入を得ることが出来た。その後、革漉き、中底と簡単な作業に携わり、現在は仕上げ、ヒール付け、接客のほか、ベーメル氏の受注会にもアシスタントとして同行する。
「私は順応が良い方なので、作業をしながら少しずつ習得していったので、あまり大変に思ったことはない」とここまでの過程を気負い無く話す。職人的な資質を充分に備えた人なのかもしれない。
 働いて6年目になる今田久美子さんは東京のギルド、名古屋のグレースシューズを卒業後、靴学校を探す目的でフィレンツェに来た。その当時、ベーメル氏のことは全く知らなかったという。
 縁あってこの工房に入り、彼女も最初は雑用から始めた。ベーメル氏が採寸をし、裁断を彼の弟が行い、60歳になるベテランのお婆さんが製甲した後、釣り込みから底付けを彼女の担当。
「プロは失敗してもその修正のすべをわかっています。ステファノがいるから私達が安心して働けます。そういう意味で彼は素晴らしいと思うし、尊敬しています」。まだまだ若い有望な靴職人だ。
宮川靖二さんはエスペランサ靴学校を首席で卒業したエリート。ベーメル氏が学校を訪れた際に、彼から直々に仕事のオファーがあった。工房に入ったものの、それだけでは物足りず、スペインなどで靴作りの経験を経て2年前に再度この工房に戻った。
「靴を作るのが好き」と語るように、言葉少なに淡々と作業をこなす。根っからの職人気質だ。
 ベーメル氏が「自分が入る隙間がない」と言わせるほど、一日の大半をこの工房で過ごす3人の息はピッタリ。この日本人の力が世界中のベーメルファンの靴を支えている。


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